昨日は、生活の退屈さと不便さからMoyoをネガティブに言いすぎてしまった気がする。まだまだこの地域の人々を分かってないのに、である。
ここの地域の人は、スーダン難民ともtribeが同じである人が多いし、もとより自分達も難民になったことがあるので、難民とウガンダ住民が融合している、といわれている。
彼らが難民になった時期、戦争とは、どれを指しているのか疑問だったのが、やっと分かった。
1978年に、イディ・アミンを大統領の座から追放するべく、タンザニア軍が侵攻した。侵攻したのは、ウガンダ南部だけかとずっと思っていたが、なんとスーダン国境のここMoyo、Aruaまで来て、その際にこの地域の人はスーダンに逃れ難民となっているそうだ。
それから現大統領がクーデーターを起こし大統領になるまでの10年間は混乱していた。
(詳しい歴史は、外務省のウェブサイトなどを参照してください。)
夜、「今日は懐中電灯がいらないなー」と思ってふと空を見上げたら、三日月がいました。
月のあかるさに、ふと気がつくなんてはじめてかもしれない。